#005 イベントレポート

パラスポーツで深める障がい理解

~スポーツでつなげ、ひろげる地域コミュニティの輪~

2022年2月5日(土)、埼玉県久喜市総合体育館サブアリーナにて、車いすバスケットボール元日本代表の永田裕幸氏をゲストに招いた車いすバスケットボールの体験会が行われた。このイベントを主催したのは、スポーツのチカラを活用し、地域コミュニティをデザインすることを目的としたサロン「DOCS」だ。DOCS主催のパラスポーツ体験会としては、第2回目となる今回のイベント。(第1回目のイベントの様子はこちら)運営協力には、第1回目と同様に「センターポール」が名を連ねた。

鹿児島県奄美大島で生まれ、高校生までは野球をして過ごした永田さん。23歳の時にスノーボードの事故により脊髄を損傷。車いす生活を余儀なくされる。入院中にリハビリの一環として車いすバスケットボールをプレーしたことが競技を始めるきっかけになったそうだ。2012年には日本代表選考合宿に選出され、2013年に自身初となる国際大会に出場、2016年にはリオデジャネイロパラリンピックにも出場し、日本は9位という成績を収めた。現在は、車いすバスケットボールはもちろん、その他にもホッケー・ソフトボール・ハンドボール等と幅広く活動している。

そんな永田さんは、埼玉県をホームにしている県内唯一の車いすバスケットボールチーム「川越ライオンズ」に所属している。同じ埼玉県である久喜市にもパラスポーツの楽しさや魅力を届けたいという想いから、当イベントへのゲスト参加を決めてくれた。

第1回目は70名もの参加者が集まるほどの盛り上がりを見せたパラスポーツ体験会。第2回目である今回は応募人数が70名を超えていたが、コロナ禍ということもありキャンセルが相次ぎ、予想していた人数より参加者は少なかった。15名ほどが参加するイベントではあったものの、一人ひとりが車いすに触れる時間が長かったため、参加者の満足度は非常に高かったのではないかと思う。

今回は、そんなパラスポーツ体験会を主催しているDOCS代表・瀬川泰祐さんに話を聞いた。

瀬川泰祐の考えるパラスポーツの魅力、パラスポーツから伝えたいこととは。

 

―第1回目は車いすラグビー体験会、第2回目は車いすバスケットボール体験会を開催したかと思います。なぜ車いすスポーツの体験会を開催しようと考えたのでしょうか?きっかけなどありましたら教えてください。

車いすスポーツに興味を持ったきっかけは2011年の震災のときまで遡ります。小学校低学年だった息子はサッカーの練習中に骨折をしてしまい車いす生活だったんです。まだ車いす生活になって間もなく、自分ひとりで車いすを操作することができず、学校に送り迎えをしたり、友達に押してもらうなどしてもらわないといけない状況でした。そんなときに震災が起きてしまったんです。クラスメイトたちが校庭に避難する中、忘れられてしまった息子だけ一人教室に取り残されてしまいました。余震が続く中、一人取り残された教室で泣いていたそうです。そのとき学校側に対して憤りを感じたのと同時に、私自身が車いすのことを理解してなかったとも感じました。息子が車いすという状況で、無事に避難できたか考えていたかというと、学校に任せきりになっていたんです。その時初めて、車いすの人は、震災や地震のときにどのようにしているのかと考えるようになりました。そこから障がいのある人への関心が高まったと思います。その当時から、すぐに車いすイベントをやろうと考えたことはありませんが、センタポールの田中さんと出会い、HERO’sの活動や大山峻護さんのイベントなどを通じて、あのときの想いがつながって今回のイベントを開催することができたと思います。

 

―これまでDOCSでは、アスリートの方や医療の専門家の方に来ていただき講演会を行うイベントを開催してきたと思います。そんな中、今回のような実際に身を持って体験するイベントを開催しようと考えた理由をお聞かせください。

東京オリパラ終了後、東京オリパラ教育という流れがあったと思います。その中で次世代につなぐレガシーみたいなものが共生社会だと私は考えていました。なぜかというと、2012年のロンドンパラリンピックが終わった後に、ロンドン・イギリスの社会が変わったと言われていて、パラリンピックを行うことで障がい理解が深まり、色々な人にとって住みやすい街づくりが進んでいったからなんです。社会が変わったわけとしては、単純に施設などがバリアフリー化していくだけじゃなくて、人の理解が進んだっていうのが一番大きかったと思います。それは、東京オリパラでも期待されていたところでした。ですがコロナがあり、東京オリパラの意義がコロナに人類が勝つみたいな感じになってしまったと思うんです。当初の目的や意義がそっちのけになってしまってもったいないなと感じました。なので、流れがある今のうちに、障がい理解を深めて、共生社会実現へ向けてアクションを起こしたいと考えたんです。そうなったときに、講演会などの「伝える」ということはできても、「伝わる」ということが難しい側面がある講演会でなく、「伝わる」というところに重点を置ける体験会を行うことにしました。

 

―第1回目には、車いすラグビー元日本代表の官野さん、第2回目には車いすバスケットボール元日本代表の永田さんがそれぞれゲストとしてイベントに来てくれました。彼らをはじめとしたパラアスリートだからこそ持っている魅力について、スポーツライターとして多くのアスリートを取材してきた瀬川さんの考えをお聞かせください。

パラアスリートの方たちって言葉をすごく持っているんです。取材をしているとわかりますが、独自の視点を持っていたり、言葉を持っている人と持っていない人では魅力にすごく差があるんですよ。パラアスリートや障がいを持っている人って日常生活において向き合うものが健常者より多いんだと思うんです。周りの目もそうだと思うし、車いすで行動が自由にいかないっていうだけでも色んな疑問があったり、外に対しても、自分自身に対しても向き合っている量が全然違うんだと思うんです。そういう意味だと社会の中で自分がどういう役割を担えるかとか、自分の経験がどう社会に役立てられるか、相手の人に何を伝えられるかみたいなところを常に考えているから、そこが刺さりますよね。向き合っている量、質のところから生まれてくる言葉っていうのは、魅力的な言葉が多いのかなと思います。

―瀬川さんの考えるパラスポーツの魅力を教えてください。

パラスポーツって、障がいの程度によって活躍できる範囲が異なります。障がいの重さによってそれぞれポイントがあるから、ルールで定められたそのポイントで試合に臨むってなったときに、色々な人が活躍できるルール設計になっているんです。そこが学ぶべきところで、本来競技性だけを考えてしまうと、障がいの軽い人だけでやった方が勝つじゃないですか。腹筋がある人とない人では全然違うし、握力のある人とない人では全然違う、だけど車いすラグビーでも官野さんは2.0というポイントで、以前対談させていただいた乗松選手は1.5ポイントで障がいの重い部類になるんです。そういう選手たちがチームに入るっていう構成を取っていて、その中で重い人と軽い人が役割分担して、勝負をしていくっていうルール設計ってよく考えられていると思います。社会やスポーツをではルールって決まっていて、それは人間が決めたものだからルール設計次第で色々な人が活躍できるはずなのに、ルール設計をしないで競技性だけを持っているから活躍できない人がたくさんいるとすると、パラスポーツには色々な人が活躍できる余地があるというのが魅力だと思います。ルール設計次第で社会で活躍できる人がまだまだいると思うので、そういうところから学ぶべきところは多くあると思います。

 

―車いすスポーツの体験会を久喜市の体育施設で初めて行った背景がある中で、今回のように久喜市や地域このようなイベントを行うこと、パラスポーツやスポーツを活用したイベントを行うことによって、それをやる意義やどんなメリットがあるとお考えでしょうか?

どうしても東京と地方で比べてしまうと、東京の方がコンテンツに溢れているし、こっちはそこまでコンテンツが多いわけではないから、そういう都内の良いコンテンツを地方に持ってくるというだけでも価値があると思います。ですが、毎回持ってきてもらわないといけないので、個人的には久喜市の中でそういうイベントやコンテンツを作れる団体を作らないといけないと思うし、地域の中でそういう団体を育てるという発想は絶対的に必要です。では、地域で団体って育てるってなると、その地域にいる人になるので、地域に関わる人が行うことにより、イベント運営のノウハウを身につけたりすることが重要なんじゃないかなと思いますね。人を呼んで満足して終わってしまうのではもったいないですよね。

 

―今回のようなパラスポーツ体験会を行うことで、参加してくださった方たちにどういったことが伝えたいのか、どういったことが伝わったら嬉しいですか?

今回のイベントは2回ありましたが、コロナの影響もあり2回目は参加者が少なかったです。伝えたいことは一緒だったけど、伝わる質はかなり違ったなと思うんです。質でいったら2回目の方が良かったし、多くの人に伝わったっていう側面では1回目の方が意義があったと思います。どっちがいいとかはないですが、人数が少なかった分2回目は満足度がすごく高かったですし、車いすユーザー、車いすスポーツの楽しさみたいなところもわかってもらえました。1回目は高校生とかにもたくさん来てもらって、若い人も体験できたっていう意義はあったと思いますし。このようなイベントでも質と量を担保できるようにしていきたいと改めて思いましたね。

―DOCSの今後の展望を教えてください。

DOCSを作ったときに、競技や世代、性別など色々なものを飛び越えて、スポーツが好きな人のコミュニティを作りたいと思ったんです。自分たちのコミュニティをスポーツでデザインするということをやろうとしたとき、学校単位でのコミュニティが希薄化してきて、学校単位でのスポーツっていうのができなくなっていると思います。特にスポーツ少年団や部活動もそうですが、地域の自治会なども崩壊してきている中で、スポーツがコミュニティとしてできる役割というのはさらに強まり、期待されている部分は大きいかなと考えています。そうすると学校単位とかじゃなくて、横ぐし刺したコミュニティを作っていくことの重要性も感じているんです。DOCSは地域単位の活動になっていきますし、競技っていうところもこだわらなくていいと思っているので、そのスポーツっていう切り口で地域を良くしていく、地域のコミュニティを作っていくっていうのをやっていくということをやっていければいいなと思っています。啓蒙活動も大事ですが、日常的にそういう活動ができてくればいいなと、地域コミュニティの入り口になる活動につながっていけばいいなって思っています。イベントごとじゃなくて日常のものまで消化できたらいいなと思います。

この度の第2回によるパラスポーツ体験会に参加した方で、共生社会のあり方について考えた人は多くいるだろう。障がい理解を深めるきっかけになった人もいるかもしれない。だが、これをイベント単位で終わらせてしまっては、真の共生社会実現は難しくなってしまう。今回イベントに参加することで、感じた想いや伝わってきたものを風化させないように、日々の生活から、日常生活でも、体感できるようなコミュニティが必要であるとも感じた。

 

DOCSのこれからの活動、そして久喜市の地域スポーツ環境の発展にはこれからも目が離せない。